悲惨でした。
ある知り合いの一言で、私の妬く30年間培ってきた全てを否定された気持ちでした。
今後、お伝えしますが過去2回のアメリカでの飲酒運転時の恐怖感を超えていたと思います。
前から不満はたくさんあったけれどそれが後押しをして仕事を辞めました。
でも、その過去は振り返らないと決めたので内容には触れません。
(ゴメンナサイ、気になっていたら・・)
その出来事が起きたのはある夜。
帰宅後、まっすぐキッチンへ向かい常にキープされていた赤ワイン1本を数分で空けました。
それからというもの、翌朝から酒屋へ行きお気に入りのワインを3本買占め約1日半で飲み干す・・という行為を数週間毎日続けました。
お陰で酒屋さんとも親しくなりましたが・・笑。その反面、後ろめたさが消えませんでした。
ワインなんて一度も一気飲みしたことはありませんでした・・でもこのころはビールの一気飲み感覚。
お酒が入っていても悪夢にうなされ、お酒が抜ければ強烈な不信感に襲われ・・の繰り返し。
勿論、食事は喉を通らず喉を通るものと言えばアルコールのみ。
驚くことにパートナーは私が1日中お酒に溺れていることを一切知りませんでした。
吐血もあったかと思いますが、何せ赤ワインなので気付くよしもありません。
前から思っていたけれど、毎日やりたいことリストが頭の中にあるのに結局何もせずダラダラとする毎日。
「しばらくはゆっくりすればいいよ、たくさん働いたんだから」
そのパートナーの一言で、一気に肩の荷は下りて前向きになるはずだったのに・・この有り様。
友人が心配をして電話をくれても前向きな発言が出来ず、会話が終わった後に後悔の日々。
体のアルコールに対する耐久力が凄まじく高くなっていることも自分で気付きました。
そんな先週末のある日、パートナーから・・
「そんなダラダラしていて平気なのか?僕の立場も考えてくれ。このままだと長くは続かない。」
このままだと彼にまで放られてしまう、それでも彼の外出後に再び一気飲みでした。
お酒に飲まれながら色々、冷静に過去を振り返り始めました。
・毎日飲酒
・飲酒運転での逮捕2度
・お酒がないと友好的になれない
・飲酒時のパートナーとの喧嘩の挙句、家出10回以上
・飲み仲間が高じての軽い浮気(といっても食事のみだけれど)
・誘いをかけてくる仲間=飲める口
・飲酒→机上での睡眠→右腕神経半年麻痺(一切動きませんでした、後にお伝えします)
アメリカでの飲酒運転は犯罪として扱われます。即ち、指紋を採取され犯罪履歴として永遠に残ります。
それを分かっていて2度過ちを犯すという行為は依存症と認める他ないとその時に「やっと」悟りました。
それだけでなく、日本での過去の過ちやアクシデントは思い返せば全て飲酒が絡んでます。
そんなこんな考えながら酔いを覚ますため寝ました。
数時間後、酔いも覚め我に返り口にしたことは・・
「私、アルコール依存症だ・・」
初めて自分で認めた瞬間、それが木曜日23日の夕方でした。
その夜はお酒が抜けて全く眠れず結局睡眠1時間でした。
今は、医者の薦める薬局での購入可能な睡眠導入剤を使用して問題ありません。
今日で断酒3日目。
2010年9月28日火曜日
はじめに・・
軽く自己紹介をします・・
私はアメリカのとある州在住の20代日本人♀です。
こちらへ来て数年、私に降りかかる惨事は後を絶えませんでした。
タイトルを見てお察しかと思いますが、私は大のお酒好きです。
20歳で上場企業の海外事業部へ配属され(英語が流暢だったため)、毎日が零時を過ぎるという「超」が付くほどの仕事人間でした。
仕事量の面でのストレスはありましたが、人間関係の問題もなく、仕事関係の同僚とは楽しく毎日を過ごしておりました。
それもこれも「お酒好き」が高じて・・というのが大きいと思います。
自分の部署のみならず他部署からの飲み会にも頻繁に誘われておりました。
そのうちに、家でも「一人晩酌」をするようになりました。
今、思えばその頃から危険サインは出ていたのかもしれません。
話は飛びますが、先週末9月24日から禁酒を誓いました。
このブログを通してなぜそう思ったのかを、過去を振り返って書き綴っていきたいと思います。
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